油屋熊八を知っていますか?
大分県別府市にゆかりのある人なら知っている人も多いでしょうが、ほとんどの人は知らないんじゃないでしょうか?
この油屋熊八は、別府温泉を日本全国で指折りの温泉観光地にしたすごい人物なんです!
私は群馬県出身なのですが、群馬も温泉観光地では有名です。
温泉観光地つながりでとても気になったので調べてみました。
油屋熊八について知ったら、別府温泉に行ってみたくなりますよ♪
油屋熊八とはどんな人物なの?
油屋熊八(あぶらやくまはち)は、大分県別府市を温泉観光地として発展させました。
この油屋熊八とはどんな人物なのか調べてみました。
- 愛媛県宇和島市の米問屋に生まれる。1863年(0歳)
- 宇和島町議に当選。1888年(27歳)
- 大阪へ。米相場で富を築く→後に失敗して全財産を失う。
- 3年ほどアメリカ滞在。現地の教会でキリスト教の洗礼を受ける。
- 帰国後、妻が身を寄せていた別府へ。
- 「旅人をねんごろにせよ」という新約聖書の言葉を合言葉に、「亀の井旅館」を創業。
- 「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案。このフレーズを刻んだ標柱を全国各地に建てて回った。
- 日本初のバスガイドの案内付きの観光バスの運行開始。
- 71歳、脳卒中で逝去。
とてもアクティブで、当時では珍しいユニークな企画を提案していたようです。
158㎝と小柄でしたが、手のひらは大きかったようで、手のひらの大きさを競う「全国大掌大会」を開催したこともあるんだとか。
行動力とアイデアを組み合わせて、別府温泉を全国でも指折りの観光地にしたんですね。
別府の温泉地とは関係ないのですが、個人的に気になったことがあります。
実は、私は駐在妻としてアメリカワシントン州のシアトルに滞在していたことがあります。
そこには、日本やアジアの食材を取り扱う「UWAJIMAYA」という食材スーパーがあったのですが、もしかして油屋熊八と関係があるのかな?
近いうちに調べてみようと思います。
別府温泉は江戸時代まで有名じゃなかった⁉
現在、別府といえば温泉というくらい有名ですが、江戸時代より前は、そこまで有名ではなかったようです。
とはいえ、「伊予国風土記」など8世紀初期には温泉の記述があるので、昔から温泉はありました。
もともと傷をいやすため、療養や湯治では訪れる人も多かったようです。
明治以降、「上総(かずさ)掘り」という掘削技術が進み、別府温泉に多くの温泉井戸ができました。
そして、現在の温泉観光地として全国的に有名になったのは、やはり油屋熊八の活躍のおかげですね。
まとめ
- 油屋熊八は「旅人をねんごろにせよ」という新約聖書の言葉を合言葉に、「亀の井旅館」を創業
- 油屋熊八はユニークなアイデアと行動力で、別府温泉を全国的に有名な温泉観光地にした
今では有名な別府温泉ですが、江戸時代まではそれほど有名ではなかったんですね。
「旅人をねんごろにせよ」は、新約聖書の言葉ですが、日本のおもてなしの精神と重なる部分があって、心に響きました。
今は電車や飛行機、さまざまな交通手段で大分まで行くことができます。
週末旅行、長期休みなど、別府温泉で日ごろの疲れをとってください。